明智光秀史跡ポタリング@ポタリング日誌2020/6/20
2020
23
食べ物ネタではないので、早めにばばばっと書いてしまうネタを一つ。
半月ほど前に書いた大山崎-長岡京ポタリングネタの続きです。今年のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」がとうとう、新型コロナのために途中休止に追い込まれるという事態に。我が家では「大河」は見る年、見ない年が明瞭にわかれているのですが、今年は超しっかり見ており、この続きも興味津々。。で、調べてみると京都は明智光秀ゆかりの史跡だらけなので、先のポタリングに続いて、巡ってみよう!ということに。ちょっと早めの10:00出発。

で、コース的には、伏見から東に宇治川、山科川沿いを経由して六地蔵に。そこから山科区を南北に縦断し、山越えして三条まで降りてくる、という予定なのだ。六地蔵までは快適コースでモモテラスの脇を流れる山科川沿いをどんどん北上。が、今日のチェックポイントその1は、意外に我が家から近かったのだ。

山科川沿いの遊歩道から、新小栗栖街道に入り北東に進み、小栗栖森本交差点を越えて、次の路地を大岩山側(北)の住宅街に入って坂道をうねうねと進むとこういう石碑が、正にどこぞの農家のお庭に隣接して、いきなりばばーんと現れるのだ。
こちらが「明智藪」、明智光秀が「本能寺の変」で主君の織田信長を討ち、天下を手に入れたのが6月2日。そのわずか11日後の6月13日には「中国大返し」で岡山から戻った羽柴秀吉に天王山、山崎の戦いにて敗れた、というのは前回ポタリングネタでも書きました。
で、光秀は数人の家臣を連れ当時の居城、「坂本城」への敗走中、伏見区小栗栖にある竹やぶで落武者狩りの農民に襲われ命を落とした、と伝わる場所が、ここ「明智藪」なのだ。Googleマップで検索すると速攻でHITするのですが、我が家から直線距離で3.8kmしか離れていませんでした。(伏見桃山越えコース、ですが汗)
で、この石碑の奥に「明智藪まで20m」の表示があるので、進んでみると・・

いきなり山が開けて、竹やぶと現在工事中!のような広々とした巨大空間に。見えませんが、この正面上が大岩山の太陽光発電所ですな。Googleマップの空撮表示では、ずっと森だったようで、他のネット上情報では鬱蒼と茂る竹やぶだ!との紹介がありますが、。つい最近、大々的に開墾された模様です。多分、この大河ドラマに向けての一大プロジェクト!のような気配が。。

当時の鬱蒼と茂る竹やぶを想像しつつ、大山崎から敗走してきた光秀一行に思いを馳せたりするのですな。当時、久御山周辺は巨大な湿地帯「巨椋池」があったので、淀経由で伏見まで来たのでしょう。尚、この土地は隣接のお寺さん「本経寺」の所有地の様で、そちらにも供養塔があるようです。

で、振り返って登ってきた新小栗栖街道方面を見ると、目の前には傾斜地にサッカーコート1面分強はありそうな広大空間が開けていて、直接ここまで観光客が上がってこられるようにするのかも?という気配が。。もしかすると、ここにも新型コロナの影響が~と思わずにはいられないですな。

で、次のポイントに移動。お次も新小栗栖街道ぞい、約2kmほど北東方面。途中で休憩した小栗栖橋でパチリ。(自転車を担いで40cm幅の水路を飛び越える、というアトラクション付きで。汗)

やってきたのがこちら。葡萄直販所のお隣にある物件。

こちらは明智光秀胴塚。明智藪で落武者狩りの農民に襲われ重傷を負わされた光秀は自決し、その首を持ち帰るよう家臣に託したらしいのですが、その胴がこのあたりに葬られましたよ、という石碑。基本、地元の有志による新しいもので、史実としてどこまで確かなのかは定かではないのですが。

で、ここから山科川をどんどん北上し、一号線を越えて三条へ!と思っていたら、相方共々いつもの癖で五条坂→馬町のほうに降りてきてしまうのだ(滝汗)。自転車的にはここがメインイベント!だったのですが、久々の丘越えでかなりへばりました。
余談ですが、五条坂の途中に「東山トンネル」なる、京都の心霊スポットとして結構有名な古い徒歩・自転車用トンネルがありますが、現在、照明バッチリ、舗装工事中で見間違えるような美しさ(一部)でした。丁度、工事人の方々のお弁当タイムに遭遇したので写真はありません汗汗汗

で、やってきたのは知恩院の北、白川の一本橋あたり。実は、このポタリングコース選定までまったく知りませんでした。この和菓子屋さんの東路地奥にめざすチェックポイント、その3が。

明智光秀首塚なり。結局、首を持ちかえろうとした光秀の家臣も6月18日には捕まってしまい、光秀と家臣の首は粟田口に晒されることになった、と伝わるようですな。で、光秀の首が葬られたのがこのあたり、ということらしいです。

なんだか非常に読ませる説明看板。首塚は元々蹴上にあり、そこの石碑をここに持ってきました、ということのようです。いやー、戦国武将では相当ネームバリューのある光秀ですが、その首塚は簡素なものでした。とはいえ、明智藪、胴塚は我々以外のギャラリー無し!だったのですが、こちらは我々同様マニアが1名だけ居られて、少々ほっとしたのだ。県外移動もOK!になったので、大河再開に向けて、これからもっとお客様が増えそうな予感ですな。。
で、五条坂を山科方面から登るのに結構カロリーを消費してしまい、激お腹ペコペコ。三条周辺で思いついたお店数軒に振られて(某饂飩店にビストロ、ベトナム料理店など・・)、そうだ!と思いついた、遥か遠い十条近くにあるお店に移動。

いやー、超我々向きのマニアック系ラーメン店でした。多分1週間ほどでお披露目予定です。 で、食後はマッハで帰宅した、14:30。いやー超へばった&楽しいポタリングになりました。
◆本日の走行距離:36.45km
◆本日の平均時速:14.7km/h
半月ほど前に書いた大山崎-長岡京ポタリングネタの続きです。今年のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」がとうとう、新型コロナのために途中休止に追い込まれるという事態に。我が家では「大河」は見る年、見ない年が明瞭にわかれているのですが、今年は超しっかり見ており、この続きも興味津々。。で、調べてみると京都は明智光秀ゆかりの史跡だらけなので、先のポタリングに続いて、巡ってみよう!ということに。ちょっと早めの10:00出発。

で、コース的には、伏見から東に宇治川、山科川沿いを経由して六地蔵に。そこから山科区を南北に縦断し、山越えして三条まで降りてくる、という予定なのだ。六地蔵までは快適コースでモモテラスの脇を流れる山科川沿いをどんどん北上。が、今日のチェックポイントその1は、意外に我が家から近かったのだ。

山科川沿いの遊歩道から、新小栗栖街道に入り北東に進み、小栗栖森本交差点を越えて、次の路地を大岩山側(北)の住宅街に入って坂道をうねうねと進むとこういう石碑が、正にどこぞの農家のお庭に隣接して、いきなりばばーんと現れるのだ。
こちらが「明智藪」、明智光秀が「本能寺の変」で主君の織田信長を討ち、天下を手に入れたのが6月2日。そのわずか11日後の6月13日には「中国大返し」で岡山から戻った羽柴秀吉に天王山、山崎の戦いにて敗れた、というのは前回ポタリングネタでも書きました。
で、光秀は数人の家臣を連れ当時の居城、「坂本城」への敗走中、伏見区小栗栖にある竹やぶで落武者狩りの農民に襲われ命を落とした、と伝わる場所が、ここ「明智藪」なのだ。Googleマップで検索すると速攻でHITするのですが、我が家から直線距離で3.8kmしか離れていませんでした。(伏見桃山越えコース、ですが汗)
で、この石碑の奥に「明智藪まで20m」の表示があるので、進んでみると・・

いきなり山が開けて、竹やぶと現在工事中!のような広々とした巨大空間に。見えませんが、この正面上が大岩山の太陽光発電所ですな。Googleマップの空撮表示では、ずっと森だったようで、他のネット上情報では鬱蒼と茂る竹やぶだ!との紹介がありますが、。つい最近、大々的に開墾された模様です。多分、この大河ドラマに向けての一大プロジェクト!のような気配が。。

当時の鬱蒼と茂る竹やぶを想像しつつ、大山崎から敗走してきた光秀一行に思いを馳せたりするのですな。当時、久御山周辺は巨大な湿地帯「巨椋池」があったので、淀経由で伏見まで来たのでしょう。尚、この土地は隣接のお寺さん「本経寺」の所有地の様で、そちらにも供養塔があるようです。

で、振り返って登ってきた新小栗栖街道方面を見ると、目の前には傾斜地にサッカーコート1面分強はありそうな広大空間が開けていて、直接ここまで観光客が上がってこられるようにするのかも?という気配が。。もしかすると、ここにも新型コロナの影響が~と思わずにはいられないですな。

で、次のポイントに移動。お次も新小栗栖街道ぞい、約2kmほど北東方面。途中で休憩した小栗栖橋でパチリ。(自転車を担いで40cm幅の水路を飛び越える、というアトラクション付きで。汗)

やってきたのがこちら。葡萄直販所のお隣にある物件。

こちらは明智光秀胴塚。明智藪で落武者狩りの農民に襲われ重傷を負わされた光秀は自決し、その首を持ち帰るよう家臣に託したらしいのですが、その胴がこのあたりに葬られましたよ、という石碑。基本、地元の有志による新しいもので、史実としてどこまで確かなのかは定かではないのですが。

で、ここから山科川をどんどん北上し、一号線を越えて三条へ!と思っていたら、相方共々いつもの癖で五条坂→馬町のほうに降りてきてしまうのだ(滝汗)。自転車的にはここがメインイベント!だったのですが、久々の丘越えでかなりへばりました。
余談ですが、五条坂の途中に「東山トンネル」なる、京都の心霊スポットとして結構有名な古い徒歩・自転車用トンネルがありますが、現在、照明バッチリ、舗装工事中で見間違えるような美しさ(一部)でした。丁度、工事人の方々のお弁当タイムに遭遇したので写真はありません汗汗汗

で、やってきたのは知恩院の北、白川の一本橋あたり。実は、このポタリングコース選定までまったく知りませんでした。この和菓子屋さんの東路地奥にめざすチェックポイント、その3が。

明智光秀首塚なり。結局、首を持ちかえろうとした光秀の家臣も6月18日には捕まってしまい、光秀と家臣の首は粟田口に晒されることになった、と伝わるようですな。で、光秀の首が葬られたのがこのあたり、ということらしいです。

なんだか非常に読ませる説明看板。首塚は元々蹴上にあり、そこの石碑をここに持ってきました、ということのようです。いやー、戦国武将では相当ネームバリューのある光秀ですが、その首塚は簡素なものでした。とはいえ、明智藪、胴塚は我々以外のギャラリー無し!だったのですが、こちらは我々同様マニアが1名だけ居られて、少々ほっとしたのだ。県外移動もOK!になったので、大河再開に向けて、これからもっとお客様が増えそうな予感ですな。。
で、五条坂を山科方面から登るのに結構カロリーを消費してしまい、激お腹ペコペコ。三条周辺で思いついたお店数軒に振られて(某饂飩店にビストロ、ベトナム料理店など・・)、そうだ!と思いついた、遥か遠い十条近くにあるお店に移動。

いやー、超我々向きのマニアック系ラーメン店でした。多分1週間ほどでお披露目予定です。 で、食後はマッハで帰宅した、14:30。いやー超へばった&楽しいポタリングになりました。
◆本日の走行距離:36.45km
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